現地から、以下のレポートが届きましたので、お知らせいたします。
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大間町在住、奥本征雄さんからのレポート 2013.12.3
■雑感 (2013.10.14)
2011年3月11日以降、小さな学習会や、反対集会、デモ行進に対する住民の意識や、
私達に向ける視線も、今までの様な無関心(あきらめなのかな?)や、
よそ者扱いの眼指しから、少しずつですが、支援者のそれに変りはじめ、
なかには、ご苦労さんとの言葉をかけてくれる人もいるなど、
これまで各地から続けて参加してくれている仲間も、その変化にビックリしています。
特に若い人達(女性の方が多い)の中から、原発に対して意識的な目を向け、
これからの自分達にどんな影響を及ぼす「モノ」なのか、考え始める様になってきている事が、
何よりもの変化ではないのか、と思っています。
風の向きが変り、潮目が変り始めている事を体感しながら、
それでも、それでも原発城下町では、ご承知とは思いますが、
ここから先へと進む事が、とてつもなく大変な事なのです。
福島事故から2年半。
大間原発工事が再開されてから1年。
世界が脱原発に流れを変えつつある中、
半世紀近くにわたって「原子力ムラ」の村長に座り続けて来た自民党によって、
またもや、政権が再稼働されてしまいました。
規制委員会に対する期待も、心なしかしぼんでしまいそうですが、来る11月1日の裁判(第11回)で、
今後の展望がたくせられる様になれば、と願っているところです。
■報告その1(2013.11.7)
10月19日に、青森県反核実行委員会と北海道平和運動フォーラムとの合同で行われた
「やめるべ大間原発、さよなら原発集会」が終って1週間、
11月1日に第11回裁判を控えていた事もあり、原告団会議での現地報告を求められた際の準備も兼ねて、
今回の集会、デモの状況を町民はどう受け止めているのかを、短時間ではあったが聞き歩いて見た。
というのも、今回デモ行進をしていて感じたのが、6月のマグロックの時とは違い、
デモ隊に向けられる視線もさる事ながら、街の中全体がずいぶんと静かだなあと感じたからです。
3.11以降、5回目となる今回のデモで町民も、
またか、という「デモ慣れ」のせいなのかなとも思いましたが、それ以上に町民の気持ちを揺らしていたのは、
原発城下町で生活して行かなければならない、現実に対する「あきらめ」でした。
① 7月の選挙では、国民の7~8割が脱原発を望んでいる現状が、
連日の様に報道されて来たにもかかわらず、東北、福島を含めて内実は別として、
自民党が大勝したという事。
② 同じ7月の施行された、新規制基準にもとづく本体工事の見通しが立たない中、
一部リース会社の撤退や、港湾関係を主体としてきた、大成建設の引き上げの話しなどが重なって、
大間の原発は本当に大丈夫なのか(出来のか)。と言ったウワささえ流れている事。
③ ②との関連や、冬季工事の縮小を前に現在の約1,000名と言われている作業員が、
年末を過ぎると300名程度になるのではないか、だとすればそれに伴って廃業に追い込まれる
民宿や店も出て来るのではないのか等々、いわゆる、明日の生活をどうするのか、
という話しばかりで、それに対する直接、間接的な不安の方が先行しているのです。
大間原発は未だ建設途中なんだ、運転開始の見通しも立っていないんだ、
だから今ならまだ十分間に合う。今なら止める事も出来るんだ、となぜ思えないか、
いつも私が聞かされる言葉なんです。
■報告その2 (2013.11.7)
第11回口頭弁論が11月1日、函館地裁で行われた。
7月の新規制基準施行と、参議院選挙結果を受けての裁判となり、
何かが変わるのかなと思ったが、これまで通り原告の意見陳述と、
弁護士からのプレゼンが行われ、裁判終了後弁護士会権で報告交流集会が持たれた。
意見陳述は、第3次訴訟原告の佐藤将さんが、障害者や高齢者など、
社会的弱者と呼ばれる人の立場から、逃げることの困難な現状を訴え、
同じ原告の上田進也さんからは、高速増殖炉「もんじゅ」の開発にも関わった技術者としての立場から、
原子炉開発は即刻止めるべきだと、訴えました。
その後、旧設置基準で許可され建設されている大間原発の耐震設計の問題点についてのプレゼンが、
只野弁護士によって行なわれ、いかに大間原発が危険にさらされているのか、明快な説明がなされた。
今回の裁判で、アレッ、と思った事がひとつ、それは、今までだと意見陳述やプレゼンで傍聴席から拍手等が起ると、
裁判長が静止しようとするのだが、今回は一度もおとがめ無し。(裁判長も納得したのかな?)
以上
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(報告者:奥本征雄さん)
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